映画

黒人差別問題から映画への波及。私たちは考えることをやめてはいけない

アメリカから世界に広がる黒人差別問題。

この問題から映画『風と共に去りぬ』の配信停止やディズニーのスプラッシュマウンテンの内容変更などが発表された。

ここで思うのが、そういった負の歴史を封印してしまっていいのだろうかということ。

1936年公開の『風と共に去りぬ』舞台は南北戦争時代の南部。

この時代のアメリカ南部は黒人奴隷に支えられたプランテーションにより白人が支配していた。南北戦争の対立軸の一つが

北部:奴隷制否定 VS 奴隷制肯定:南部

奴隷制が当然のものとしている南部を描き、劇中の黒人奴隷は主人である白人に対して尽くすことが幸せかのような描写をしている。

当時の黒人奴隷たちの悲惨な状況など何処やら。

スプラッシュマウンテンの元となった映画『南部の唄』も差別の問題を孕んでいる。この映画は黒人と白人の少年が心を触れ合わせるストーリーである。

どこに差別があるのかと言われると批判する側の人からすると、この黒人と白人の描写がダメだということだ。この時代は黒人と白人はこんなにも対等に交流はしておらず、奴隷制に対して誤解を招くというもの。

このように以前から批判のあった作品たちが次々と姿を消していく。だが果たして消してしまって。なかったことにしてしまって本当にいいのだろうか。

差別を受けている人たちからすれば誤ったもの、不快に思うものはなくなってしまった方がいいと感じるのは当然だと思う。

でもこのような作品を作り上げてしまう当時の感覚を人々は持っていたんだという歴史もないことにしてしまうのではないだろうか。

白人から都合の良い見方で作られる黒人奴隷時代の作品。奴隷解放から時が経っているのにも関わらず、こういった見方を捨て切れていない事実。これを示すためにも作品は残すべきではないかと思う。

流石に、なんの説明や前置きもなく作品を見てしまえば誤解を招く。ちゃんと当時の背景やこれまでの経緯を差し込みながら鑑賞できるようにして、作品を通して様々なことを学べるようにするのが過去を知り未来のこどもたちに歴史を残せるのではないだろうか。

黒人奴隷があった歴史。

黒人奴隷を美化して描写した歴史。

どちらも紛れもない事実なのだから蓋をせず、向き合っていかなければならないのではないかと考えてしまう。

この問題は根深く、いろんな意見があるし想いもある。簡単にわかるなんてことは言えない。しかし映画を愛する者として、歴史を学ぶ者として、そして子どもたちと共に過ごす者としては、いろいろ思うことがあったのでした。

強者からの一方的な見方が通用する時代は終わった。多様性が叫ばれるこの時代。特定の方向から見るだけでは何もわからないということを映画を通して再確認するきっかけとなれば、この映画の価値を見直すことにもつながるのかもしれない。

”風と共に去りぬ”は背景などの注釈を入れ、誤解が生まれない配慮をしながら配信を再開する予定とのことです。

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ビー玉
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