ここ1、2年ずっと考えていることがある。
それは『責任』というコトバ。
「あなたは責任とれるのか」
「自分で責任とるんだから何やってもいいでしょ」
普段から軽く使ってしまうこのコトバであるが、結局のところ責任とは一体なんなのか。
よく大人は子どもにいう。責任とれるのか?責任があるでしょ?
使っている大人は責任というコトバを理解して使っているのだろうか。僕は自信がない。
今回は、責任についてちょっとだけ調べてみた記録。
辞書における責任
広辞苑無料検索というもので調べたところ(このサイトが本当に広辞苑の内容を表しているのかはちゃんと調べてはいない)このように記されていた。
①[荘子天道]人が引きうけてなすべき任務「-を全うする」「-を持つ」「-をとる」
②政治・道徳・法律などの観点から非難されるべき責・科。法律上の責任は主として対社会的な刑事責任と主として対個人的な民事責任とに大別され、それぞれ一定の制裁を伴う。
①をみると、中国の思想家である荘子からきているらしい。荘子関係の本は読んだことがないので、これを機に読んでみることにしよう。
それはさておき、これは荘子の天道編に記されている一節からとったものらしい。具体的な中身の検討は今後行っていきたい。
responsibility
それでは、英語における責任とは何か。日本語の責任という言葉に対応している英語はresponsibilityであった。
このresponsibilityの由来に対する見解が日本西洋古典学会のHPにあったので紹介したい。https://clsoc.jp/QA/2018/20180228.html
responsibilityの語源はラテン語のrespondeoである。元々の意味は「返答・反応できる状態」
respondeoはreとspondeoの二つの部分からなり、reは「反対に、ふたたび」spondeoは「誓う、約束する」を表します。これにより「ある事柄や出来事にたいして、何か対応をする」くらいのニュアンスと考えるのがいいそうです。
しかし、respondeoに「責任」という直接的な意味はなく、後代に「責任」(responsibility)という言葉を作るとき、respondeoの意味合いを利用したのではないか。つまり、respondeoの意味を反映させてresuponsibilityを解釈するなら、「責任」とは「何らかの事柄にたいして、対応することができる自由な状態にある」、そして「自由な意志にもとづいた行為の結果にたいしては、(他の人ではなく)自分が引き受ける・対応する必要がある」というような意味を含んでいそうです。
日本西洋古典学会
ここで面白いのが、責任とは何らかの事柄にたいして、対応することができる自由な状態にあるということ。私たちが考える責任とは少し違うような気がする。
そもそも、責任という言葉をresponsibilityに訳すときに勝手に(極端にいえば)当てはめただけで、文化や歴史が違うのだから概念が違うのは当たり前だ。
僕自身、責任という概念や言葉は西洋から入ってきて、うまい漢字を当てたのだろうと思っていたのだが、荘子が出てくると認識が違っていたなと改めて勉強になった。
結局のところ
結局のところ責任という概念は、わかっていない。
調べれば、調べるほど様々な情報が出てきて、学ぶのも一苦労。でもこの難解さが俄然やる気をみなぎらせてくれた。
今回は、責任の表面。いやその表面にできた湯葉の膜くらい薄っぺらくしか責任について考えられていないが、今後学びの成果を載せていけたらと思う。
責任について面白い説や書籍があれば教えて欲しいです。
なぜ突然、ここに記したか…それは職場で責任についてみんなで語っていたら面白い本を紹介されたから。
しかし、この本を読む前に学んでおかないといけないことがたくさんありそう…笑