こんにちは、ビー玉です。
今回の映画は『ロード・オブ・ウォー』
このロードは道という意味の”road”ではなく”lord”
”lord of war”それは戦争の支配者。
【公開】2005
【原題】Lord of war
あらすじ
ウクライナ生まれのユーリーはNYで両親が経営するレストランを手伝いながら育つ。ある日のこと。ロシアンギャングの銃撃戦を間近で見たユーリーは、レストランでの料理より、戦場で武器を提供した方が儲かるのではと決心する。弟のヴィタリーと共に武器商人の道へ。闇の道に少しづつ足を踏み込んでいくユーリー。だが、インターポールの捜査員バレンタインがユーリーたちの動向を追っていた。
キャスト&スタッフ
監督アンドリュー・ニコル:ジムキャリー主演のトゥルーマンショーの脚本やトムハンクス主演のターミナルの原案・総指揮を務めている。なんとなくドキュメンタリー感のある作品が多いのかな?
ニコラス・ケイジ:みなさんご存知の俳優。有名どころでいえばナショナルトレジャーか。自分の出会いだと、”フェイス/オフ”か”コン・エアー”あたり。ジョン・ウー監督のフェイス/オフはおすすめ。
ジャレッド・レト:どこかで観た俳優だと悩んでいたらパニック・ルームだった。
イーサン・ホーク:6才のボクが、大人になるまででアカデミー賞ノミネート。
ブリジット・モイナハン:とても美しい女優さん。出会いはアイロボットだったかな。ジョン・ウィックの奥さんの役でも最近活躍。
レビュー(ネタバレあり)
印象的なオープニング
冒頭、一発の銃弾が製造され、最後に人の体を撃ち抜くまでの経過が映し出される。工場で生産された、銃弾は遠く遠くの地まで運ばれる。
誰が作ったのか分からない銃弾を発射する、戦地の人々。どのような人がどんな目的や意志を持って撃っているとは知りもしない工場員。
銃弾を作っている人間には、自分が人を殺しているという自覚はない。武器商人だって、人は殺していない。相手が欲しいと望むから売る。これはビジネスであると。この映画が何を訴えていきたいのか。全編を観た後にもう一度このシーンを観ると、民兵や生産者、当事者たちにはなんの思惑もなく、ただ大きな何かに動かされているだけなのではと思えてくる。
人は直接殺してはいない。だがしかし、割り切れるのか。
ユーリーの弟であるヴィタリーは、心が壊れていきドラッグに手を染める。自分が売った武器によって、子どもや罪のない人々が殺されている事実。ユーリーはビジネスだと割り切っている。しかし、自分も弟のように壊れるのではないかと、自問することも。しかし、彼は壊れない。逮捕されても世の中の現実を語り、また武器商人に身を投じていく。なぜなら自分には才能があるから。
この映画で語られている、国が正規に武器を流せないときは、私のような存在を使う。国に感謝されるくらいだ。これが自分を正当化するための言い訳になってくれているのか。はたまた本当にビジネスだと割り切っているのか。彼ら武器商人に必要なのは才能だけなのだろうか。
独裁者が治める国家
ユーリーは独裁国家とも取引を行う。そこには少年兵部隊の姿も。独裁者の気分で撃ち殺される部下など、とんでもない状況が映し出される。
しかし、ただ独裁者は悪者だ!で終わらないのがこの映画。
最後の方で、上空を封鎖されながらもユーリーは武器を持ってくる。
どうやって潜り抜けたのか詳細は語られない。しかし、ラストシーンで語られるユーリーのようなフリーランスの武器商人には時として国家から黒い依頼が降りてくる。
傍若無人な独裁者を支援している供給者がいることを忘れてはいけない。
世の中の戦争は誰の意志か。
最大の武器供給者は?
映画のラスト。
「最大の武器供給者は、米・英・露・仏・中である。この5カ国は国連安保理の常任理事国でもある。」
これが何を意味するのか。国連安保理の常任理事国。それは第二次世界大戦の戦勝国を意味する。
この武器供給を平和のための武器ととるのか。はたまた、世界の覇権をかけた新たな戦いに使用している武器なのか。
供給ということは、自軍で使う以外の武器ということ。この大量の武器を売り、利益をあげる。戦争とは一体、誰の意志で行われているのであろうか。
“Lord of war”戦争の支配者。それは武器商人であるユーリー個人のことではなく、大国のことなのかもしれない。
さいごに
わかっていたことだが、いろんなことを思い出させてくれる。
戦後70年以上経った現在でも、戦勝国中心で動く世界。大国間の戦争は無くなったが戦争は日々起きている。大国の思惑で、振り回され、逆に利用する小国。結局、被害を受けるのは、そこにいる住民。
先進国でテロが起き人が亡くなると世界が祈る。しかし、途上国の戦闘のことは報道もされない。
ただ見たくないものは見ないのか。どうせ変えることはできないと、背を向けるのか。
世界の平和のため。人々のため。何ができるのだろうか。
たとえ、力がなくて何もできないとわかっていても、考えることだけはやめてはいけない。そう思えた映画だった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。